大阪地方裁判所 昭和43年(ワ)4056号 判決
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〔判決理由〕(一) 企業損害
<証拠>を総合すると、左の事実が認められる。
原告会社は、断熱ドアの設計製作、取付を業務内容とする会社で、昭和三四年ころ原告水田の個人企業として発足し、昭和三八年ごろ有限会社組織に改め、従業員一〇名位で、原告水田においてその代表取締役となり、同人において、材料の仕入れ、得意先との折衝、注文取り、設計、現場での仕事の段取り、指揮、監督等、その殆んどを掌握していたが、同人が本件受傷のため入院し、原告会社の経営に重大な支障を来すこととなつたため、原告会社と兄弟会社である訴外株式会社水田木工所(原告会社と同種営業目的を有し、原告水田耕の実兄がその代表取締役)の取締役訴外水田広司(原告水田の実弟)が、事故直後より昭和四三年五月末日まで東京から原告会社(大阪)へ毎週一回の割合で応援に出向き原告水田が会話できる状態になつた昭和四三年四月ごろからはその都度原告水田と協義のうえ、得意先との折衝等原告水田の代替をなして来たが、同年六月一〇日原告水田が退院してからは、向う三年原告会社の従業員として毎月一回出動することをとり決め、昭和四五年二月二日原告水田が死亡するまで右状態が継続し(原告水田は原告会社から毎月二〇万円〜二五万円の報酬を受けている)、この間、原告会社主張のとおり、原告会社において右水田広司に金員の支払いをなし、原告会社従業員石井安雄、白山忠雄、同長谷川寿に特別報償金を支給した。その後は、暫時右水田広司が原告会社の事実上の経営責任者となり、現在、原告水田キミがその代表者として経営を担当しているが、本件事故後、原告水田死亡に至るまでの原告会社の営業成績は、事故前に比し、漸次下降の状態にあつた。
右認定の事実からすると、原告会社はその企業規模経営の実態において、原告水田の寄与度の極めて高い、いわゆる個人会社とみることができる。不法行為により身体の傷害を受けた個人以外の法主体が間接的に損害をこうむつた場合、それが直接被害者のこうむつた損害を肩替りしたもの、つまり、直接被害者自身の損害と重り合うもの(例えば会社が事故により休業中の従業員に給与を支払う)でない限り特段の事由がなければ保護に値いする損害の範囲から除外されるべきものと考える。本件についてこれをみるに、原告会社は、有限会社ではあるけれども、右認定のとおり、原告水田の個人企業と同視し得る程度のものであり、原告会社の損益は即ち原告水田の損害と実質においてほぼ等しいものとみることができるから、事故以前の営業成績を維持せんがために原告会社が支出を余儀なくされた経費のうち、損害の公平な分担の観点から相当性の肯定される限度において、本件事故と相当因果関係のある損害と評価するのが妥当である。そうすると、原告水田が入院していた昭和四三年六月一〇日までの間に、原告会社が水田広司に支払つた交通費二二万三、九八〇円、一日七、〇〇〇円の割合による五三日分の出向手当三七万一、〇〇〇円は、これをそのまま原告会社の余分の経費として損害と認めるべく、その後一カ月七万円の割合により水田広司に支払つた二二九万四、〇四〇円については、その出勤回数が従前の二分の一以下に低下し毎月一回の割合程度であつたこと、原告水田の報酬額等に照らし、一カ月につき交通費を含めて二万円の割合による原告水田死亡の時に至るまでの八カ月分合計一六万円を、賠償に値いする損害と認めるのが妥当である。 (中村行雄)